たかなの登山 登山記録のエッセイ、お役立ち情報など

日本百名山をリスペクトして、登山記録をエッセイとして残したいと思います。

2023年山行振り返り:積極的な活動をした挑戦の年!百名山完登を目指して15座に登る

今年はこれまでと比べても、積極的にいろいろな山に登ったし、いろいろな活動をすることに挑戦した年でした。毎週のように登山している方と比べるともちろんまだまだですが、レベルアップに取り組んだ年だったといえます。

百名山完登を目標に設定した

これまでぼんやりと、死ぬまでに百名山に全部登れたらいいな〜と思っていたのですが、出産を意識するようになり、「元気なうちになるべく多くの山に登っておこう」と思うようになりました。

昨年までの経験もぼんやり影響していると思います。昨年蝶ヶ岳常念岳へ登ったのですがそこで見える穂高槍ヶ岳を見て「これを登りたい!」と思うようになりました。また、2〜3年前にたまたま電車で隣になった80代ほどに見えるおばあちゃんがすでに百名山を登っていたことを聞き、自分もできるんじゃないか…と思ったのもきっかけの一つです。

百名山をすべて登ることは現実味がなかったのですが、やると決めてからはすべて登ることを前提として考えるようになりました。ここらへんが大きな心境の変化です。たとえ移動が大変でもやる、なぜならやると決めたから、と考えるようになりました。

百名山を15座ほど登った

もちろんそれまでも機会があれば登っていたのですが、百名山完登を目標に決めてからは意識的に百名山を登るようになりました。振り返るとこれくらい登ってます。

思い出に残っている山行は剣岳です。これまでも「いつか登りたい!」と思っていたのですが、まだ自分には早いだろうと思っていました。ソロですし。でも出産するとなると、登れるように体力・技術が回復するのは随分先になってしまうと考え、できるときにやろうと思ってチャレンジしました。もちろん岩場を歩く訓練もしましたし、登る前に1泊ほどの山行は何回か行って準備はしました。当日は幸運なことにお天気にも恵まれ、最高の山行で、何度も山の神様に感謝しました。

雪山・ボルダリングにチャレンジした

どうしてもしょうがないことなのですが、冬季シーズンは登山にいく機会も減ってしまいます。それが悔しくて雪の時期にできることを探していました。

昨年末に北横岳に登ったことを皮切りに、入笠山に登ったり雪山講習に参加したり、雪山1年生として活動しました。おかげで軽アイゼンやチェーンスパイクくらいで行ける山には怯えずに登れるようになったように思います。今年は12本爪アイゼンを購入して雪山2年生としての活動に備えています。(ただ今年も暖冬のようなのでどうなるか…。)

また、ボルダリングにも挑戦してみました。もともと登山のステップアップのためのボルダリングに興味はあり自分で2〜3回ほどジムに行ってみたのですが、おもしろさがわからずにいました。今年は友だちに教えてもらい、なんとなくボルダリングのおもしろさがわかるようになってきた気がします。職場から通いやすいジムに通ってみようと計画しています。登山は自分の外(森や山の地形など)との対話ですが、ボルダリングは自分の中との対話なのかな…という感じがしています。

年を取って体力が落ちやすくなっていると実感しています。ボルダリングの習慣をつけることで体力をあまり落とさないようにしたいと思います。

剱岳(No. 48)

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今回の山行記録

  憧れの剱岳+立山三山【2023年7月下旬】 / たかなさんの剱御前山真砂岳(富山県)別山(富山県)の活動データ | YAMAP / ヤマップ

深田久弥日本百名山」をリスペクトして、登った百名山についてエッセイを書こうと思います。No.は百名山に準拠しています。

日本の一般登山道の最難関ルートの一つ、ということは聞いていた。だからこそ憧れもあったし、自分が向かってもいいものかという不安もあった。もちろんこれまで岩場もいくつか歩いたし、鎖場もいくつか経験した。経験談も読み、YouTubeで岩場の動画を見て予習した。いつかは剱岳へ行きたいとは思っていた。

もっともっと経験を積んでから登るべき山だと思っていた。その考えが変わってきたのは登山の時の膝の痛みで加齢を感じたことがきっかけの一つだった。いままで登山中に膝が痛くなったことなんてなかったのに、膝が少し痛むようになってきたのだ。年を取ると一般には体力もバランス力も落ちてくるといわれる。なるべく若いうちに登ったほうがいいのではないかと思い、チャレンジしてみることを決めた。

そうと決心できたら、剣山荘の予約だけ取ってしまった。予約はメール一本で取れてしまって、あんなに逡巡したのに…と拍子抜けした。

それからは長い距離を歩ける体力をつけるため、瑞牆山金峰山雲取山をトレーニングとして登った。岩場の練習として旅行のついでに石鎚山にも登った。経験者に話を聞いて簡易ハーネスも用意した。

そうこうするうちにも時間は進む。出発の1週間ほど前にバスや新幹線を予約し急いで荷物を準備する。バスはネット予約では取れなかったが、ダメ元で電話してみたところ最後のひと席をとることができた。

バスには街の格好で乗っている人もいた。室堂へのアクセスはそれほど良いのだろう。車内では運転手さんのガイドがあった。曰く、立山有料道路は日本で一番高い有料道路だと言われているとか、有料道路の入り口で水を流しているのはバスのタイヤについている外来植物の種を洗い流すためであるとか。

日本一の落差の称名滝や弥陀ヶ原の湿原など景色の目まぐるしく変わるのを楽しく眺めているうちにバスは室堂に着いた。連日の猛暑のせいか、雪はいつもより少ないらしかった。それでも室堂から見る立山連峰には雪が残り空の青と雪の白のコントラストが美しい。

まずは初日の目的地、剣山荘へ向かう。雷鳥沢を通って剱御前小屋まで2,3時間登り、そのあと1時間ほど下ってやっと到着する。なかなかに遠いから、ご飯が食べられて眠れたら十分ありがたいと思っていたがその期待は大きく裏切られる。なんとシャワーが浴びられ、飲用の水は無料、部屋は清潔だしご飯はおいしい。ゆっくり身体を休めることができた。

翌日は朝4時半ごろに発つ。天気は晴れの予報。

前剣に向けしばらく登る。振り返れば剣山荘は小さく見え、昨日越えた剣御前小屋の鞍部は緩やかに広がっている。別山や剣沢がゆっくりと朝日に照らされ、紫から赤へ染められていく様はずっと見ていられるほど美しい。

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視線をこれから登る剱岳へ戻す。剱岳日本百名山中では、「北の俊英」「一つの先端を頂点とする」などと紹介されている。だからてっきり槍ヶ岳のように鋭く天に聳える峰なのかと思っていたが、間近で見ると想像よりずっと丸くどっしりとしている。その荘厳さは、空が白んでいくにつれ徐々に明らかになる。急峻な岩が連なる雄々しい山だ。果たしてここに登れるのか?と思わないでもない。

前剣を過ぎてからは高度感があって落ちたら軽傷では済まないだろう鎖場が続く。どれくらい時間がかかったのか覚えていないが、ひとつひとつ越えていくとやがて山頂へたどり着いた。

山頂は予報通り晴れていて、遠くに富山と日本海が見える。こっちを見れば薬師岳、あっちを見れば北アルプス。山々の中心にいるかのような感覚を覚えた。これまで後立山連峰の縦走なんて考えたこともなかったが、実際に峰々を見るといつかあの尾根筋を歩きたい、と思ってしまうのが不思議だ。

YouTubeで予習していたからか、思ったほど下りの鎖場は怖くなかった。むしろ下りの長さが堪える。

一服剱を過ぎて剣山荘に向かう途中で外国人の親子とすれ違った。もうすぐですね、と声をかけたが伝わらなかったようだったので英語で伝えようとした。It takes very very…まで言っても特に反応がなかったが、詰まりながら … few minutes と言うと言い終わらないうちくらいに2人から “Yes!!”と言葉があった。それほどまでに達成感のある長さだった。

無事に下り終え、剣沢のテント場にツェルトを張った。この頃には剱はすっかり雲に隠れてしまった。

翌朝、テントがひどく結露していたので乾かしている間、朝の光が剱岳にかかる様子をなんとなく見に行くと、近くにいるおじさんと立ち話になった。聞けば百名山はとっくの昔に登ったとのこと。こういう話を聞くと、百名山完登を達成しても何者かになるわけではなく、歴代の百名山を完登した方々の末席に加わるだけだ、と改めて思う。

太陽が登りきる前に剣沢テント場をあとにしながら、以前読んだ本を思い出した。「きっと人間には二種類ある。山を見て、登れるはずだと信じる人間、登れるはずがないと諦める人間。前者が山屋で、後者が山好きだ。」(「リュックをザックに持ち変えて」(唯川恵) より引用)

わたしはどちらだろう。剣沢テント場をあとに歩き始めたときは一瞬だけ山屋だったかもしれない。

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雲取山 (No.66)

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今回の山行記録

【7月】三条の湯経由雲取山 / たかなさんの小雲取山(山梨県)雲取山の活動データ | YAMAP / ヤマップ

深田久弥「日本百名山」をリスペクトして、登った百名山についてエッセイを書こうと思います。No.は百名山に準拠しています。

雲取山は私にとっても思い出のある山だ。深田が「高尾山や箱根などのハイキング的登山では物足りなくなった人が、次に目指す恰好な山」として雲取山を紹介しているが、私と雲取山の関係もまさに同じであった。

学生時代、バイト先の先輩に連れられてユーシン渓谷などハイキング的登山を始めてみた。その後東京近郊ですこしレベルが高い山で…とステップアップのため登ったのが雲取山だった。標高年の2017年に登ったことをよく覚えている。ルートは深田が「一番やさしい普通のコース」と紹介する三峯神社から登山を始めるルートであった。不思議なことにどこに泊まったかは思い出せないのだが、雲取山荘ではなかったから、いまはなき奥多摩小屋なのではないかと思う。

2017年以降はコースの長さゆえに頂上には立たず、付近の七ツ石山や鷹ノ巣山などに登るのみであった。今回夏のアルプス登山の前に1泊2日程度で近場で…と山を探していた際、そういえば…と三条の湯を思いついた。前日に電話して聞いてみたところ、テント場の利用にも予約が必要ということでその場で予約をして三条の湯に泊まることになった。

急いで荷物をまとめ、ルートを詳しく調べる。登山口から三条の湯までは4時間を見ておけばよさそうだった。ゆっくり出発しても問題がないと判断し、翌日は8時頃の電車に乗って奥多摩へ向かった。お祭バス停までバスに乗り、近くの登山口から登り始める。三条の湯までは3時間ほど林道を歩き、その後40分ほど登山道を歩くルートである。沢沿いに登っていくため、「これが東京都の水源か…」と都市と森林の関係を考えながら歩くことのできる涼しくて気持ちの良いコースである。しかし、10km弱といかんせん距離が長い。途中途中休憩を挟みながらゆっくり進むのがいい。

3〜4時間ほど歩くと三条の湯に到着する。三条の湯はいいと山行記録にいくつか書かれていたが、行ってみてたしかにそうだ、と納得した。まずそのロケーションが良い。沢沿いの少し開けたところにある小屋で、なんとも気持ちの良い場所にある。また小屋の写真や歴史も食堂で見ることができ、これがおもしろい。初代のオーナーの顔写真とともに「親切・清潔」と山小屋のモットーが掲げられたり、現在のオーナーが「雲取のロバート・デニーロ」と紹介されている写真が入ったアルバムを見られたりとなかなか刺激的である。山小屋が始まった際の写真もふんだんにある。三条の湯について話す際には、もちろん温泉も忘れてはいけない。泉質もよく、疲れた身体を伸ばすことができる。窓の外の純度100%の緑を見ながら入る温泉、これ以上の贅沢があろうか。

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さて、この山行では同じ方と何度かすれ違い話すことがあった。彼をULおじさんと呼びたい。はじめてULおじさんと会ったのは三条の湯へ向かう林道の終点であった。挨拶をし、その後お連れの方と2人で三条の湯に向かう登山道へ向かっていった。その後登山道上で休憩している2人組に再会した。聞けば三条の湯まで行くとのこと。また後ほど、と声をかけて先へ向かった。三条の湯では案の定テント場で一緒になった。ULおじさんが軽量のテントを張る横で私がよれよれのツェルトを張り(三条の湯のテント場は土に小石が多くペグダウンが難しい)、しばらくして顔を合わせたところ「僕もそれ(ツェルト)をずっと使っていたんです」と話す。以前テントを担いで登ってバテてULを志向するようになったということだった。しっかりと自立するでもないツェルトの不足さやわびしさが良い、自立する立派なテントが少しつまらなく思えると話していた。立派なテントを横目にいじけるような気持ちでツェルト泊を行っていた私にとっては光明が差すような話だった。同行の方は大きめのテントを持ってきたので重く、それで途中でバテてしまったということだった。

早めに就寝し翌日は4時半に起きたが、その際にはULおじさん一行の跡はすでになかった。想定より長く時間がかかったので早めに出たのだろうか。挨拶をしたかったがしょうがない、私も早めに出ないと、と思い雲取山へ向かった。三条ダルミまでは長い長い登りが3時間弱続く。樹林帯が続くため景色もあまり変わらず、きつい。ULおじさんのことを忘れた頃、なんと途中でその一行に会った。お連れの方がバテて引き返すとのことだった。やはり荷物は軽量化するに限る。少し心配だったが、まだ時間も早かったので大丈夫だろうと思い別れた。

前日も三条の湯まで標高を上げたのになぜまだ登るんだ、と悪態をつきたくもなるころに三条ダルミに着く。富士山がきれいに見えて休みごたえがある。休憩し、もうすぐ山頂だと思って登るが、この上りが一番の急登だった。息も切れ切れになって山頂にたどり着く。

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はじめて雲取山に登った際は頂上から見える石尾根の長さや眺めの素晴らしさに時間を忘れてしばらく立ち止まってしまった。時間を経て再び訪れた石尾根は思い出よりも短く感じた。最初に登った頃よりも登山経験を積み、悲しいかな新鮮な気持ちで見ることができなくなってしまったのかもしれない。しかし富士山や奥多摩の山並みは思い出通り美しく、富田新道との分岐まで景色に見惚れながら石尾根を歩いた。分岐では、いつか深田が歩いた富田新道も歩きたいと思いながら鴨沢方面へ慣れたルートを降りた。

ちなみにULおじさんとそのお連れの方には奥多摩駅でたまたまお会いすることができた。三条の湯からも大変であったという。